「おい、小山。今度のバトル、お前うちのバイクで出るか?」
 チーム・ファンデーションのボス、名越さんからいきなり電話が来たのは去年の11月のことでした。
 「えっ僕でいいんですか?」ファンデーションといえば、今では超有名な存在。昔は(もう10年近くも前ですが)よくファンデーションのレーサーに乗せてもらってバトルやグランドスラム等のイベントレースで勝ちまくっていた頃もありました。でも、あれからもうずいぶん経つし、今のバイクは当時のものとは比べものにならないくらい進化しているから...なんて思いながらも「僕でいいなら、もちろん乗ります」と答えていました。
  受話器を置いたあと、「果たして全日本で活躍しているあのバイクって、いったいどのくらい凄いんだろうか?」なんて思いながら初練習までの数週間、久しぶりに期待と不安の入り交じった日々を過ごしたのでした。
 そして初のテストは12月9日。場所はもちろん筑波。実は筑波のコースを走るのはほとんど3年か4年ぶり。それに加えてバイクはバリバリのスーパーバイク996レーシング。不安な事のほうが多いけど、名越さんは「とにかくまずどんなものか、慣れろ」と言ってくれるし、まぁとりあえずコースイン。でも実は心の中では「僕のここでのベストタイムは名越さんの造った900SSエンジンのレーサーで1分0秒95だし、自分の腕にも覚えがあるし、まぁ今日のうちに0秒台くらいは出るんじゃない...」くらいの気持でいたんです。
 
 そして走り始めたのですが、とにかく速いですね、今のスーパーバイクは。まるで目がついて行きません。バイクに慣れるために周回を重ねるのですが、すでに体感上は"気分は0秒台"。まわりの景色の変わり方が異様です。ところがサインボードを見るとずっと1分6秒台。「ええっマジかよ〜」と思いながらもうちょっと頑張ってみたのですが、結局この走行では1分4秒を切るのが精一杯、それも一回だけ。この走行後、しばらく使っていなかった神経や筋肉などをいきなり酷使したためか一気に疲れが出て、トランポの中で思いっきり爆睡してしまいました。
 
 この日は全部で3回走ったのですが、ベストタイムは1分1秒95。3走行目はタイヤも新品にしてかなりマジで走ったもののあまりタイムが伸びず、結局一緒に走っていた同じドゥカティに乗るオールマンの富岡選手にひっぱってもらってなんとか出たタイムでした。でもこの日、富岡選手はすでに0秒台で走っていたんです。帰りのトランポの中で僕は隣の名越さんの顔色をうかがいながら思わずこう言ってしまいました。「あの...本当に僕でいいんでしょうか...?」名越さんは多少ひきつった表情ながらも「大丈夫。なんとかなるって」と言ってくれたのですが...。
 そして次の練習は1週間後の12月16日でした。前回のテストのあと、僕はおそるおそる名越さんに「あ、あの...1コーナーとか最終コーナーでスロットルをパーシャルにつけにくくてバイクの挙動が安定しないんですけど...」と言ったのですが、今回はそれが改善されているかどうかの確認がまずひとつ。加えて名越さんからのアドバイスがひとつ。
 
「井筒の話だとな、このバイクの場合はな、コーナーに進入してからクリップに付くまでの間はフロントタイヤをつぶしながらクリップに向かって切り込んでいく感じだと言ってるんだ。お前ならこの意味がわかるだろう?」 井筒選手は96、97年と2年間ファンデーションのドゥカティで全日本を走っており、当時のこのバイクでの筑波のベストタイムは何と57秒8。はっきり言って次元が違います。98年からカワサキワークス入りし、今やエースとして全日本を走る超有名ライダーです。ヤマハの芳賀紀行選手とともにファンデーション出身ライダーの出世頭といえるでしょう...。
 
 まぁ、それはともかく走り出してみました。まず、スロットルの問題は完全に解消されていました。さすが全日本をドゥカティで丸5年も戦っていると百戦錬磨というか、こんな事は何でもないんですね。で、僕の走りのほうですが、「フロントタイヤをつぶしながら...ブツブツ...」と考えながら除々につめていくと、1分2秒台、1秒台とタイムは詰まり、この走行終了間際には0秒台に入れることができました。少しホッとした、というのが正直なところ。そして2回目の走行ではついに1分を切り、59秒89を出すことができました。この日の練習からバイクにPラップという、リアルタイムでその周のラップタイムを表示するモニターを付けていたので、ゴールラインを通過した瞬間にこのタイムを確認することができました。それが嬉しくて次の周はそのままピットインしてしまいました。名越さんも手動計測で59秒台を確認していて、二人で大喜びでした。
 
 3度目の練習は年が明けた1月9日。この日はとても寒くてタイムを出すのにはちょっと厳しい条件でした。それに前のテストから3週間以上経っていたので、スピードに対する感覚がなかなか戻らず目もついていけずでベストタイムは0秒台。自分にとっても名越さんにとってもいまひとつ納得のいかないテストになってしまいました。さあ、あと練習できるのはレース前日のスポーツ走行のみ。そして次の日はいよいよレース本番です。
 1月14日のレース前日のスポーツ走行は順調でした。違う種類のタイヤも試してみたしサスのセッティングも少し変えてみました。実はそれまで、名越さんがこれで走れとセットしてくれたサスセッティングのまま、何も変えないでずっと走り込んできたのです。名越さんとしては、そろそろ少し変えてやってその結果どうなるかを見ても良いかな、と思いだしたようです。その結果タイム的には59秒5まで詰めることができたし、それもけっこう混んでいる走行の中で出たタイムだったのでかなり自信を持つことができました。その後レースの受付と車検を前日のうちに済ませてしまい、そのまま近くに宿泊。あとはレースを待つばかりとなりました。
 明けてレース当日。とても寒い一日になりそうでした。午後からは降雪の可能性も高いとのこと。とにかく予選でタイムを出してしまおう、天気のことはその後だ...ということで予選に臨みました。路面温度が低いのでタイムアタックにはちょっと厳しい条件だったのですが、それはそれ。気合い一発のアタックでまず59秒158。この時もPラップのモニターでタイムを逐次確認できていたので、こんなふうに思っていました。「今のアタックでこのタイムなら、次の周の58秒台突入は楽勝だ!」で、そのまま攻め続けたのですがダンロップ下からシケインにかけて遅い車にひっかかってしまい、この周は万事休す。「よし、次の周に賭けるぞ!」と思ったらチェッカーが出てしまいました。
 
 予選結果は、当然といえば当然なんですけど、ポールポジション。予選2番手とは1秒以上の開きがあり、10年前のレースで名越さんの造ったパソ906のレーサーに乗った時のこと(この時も予選はぶっちぎりのポールでした)を思い出しました。
 
 決勝レースでは、スタートが下手なことで定評のある僕がなんとホールショット!...と思ったら1ヘアでタイヤを滑らせておっとっと...なんてやっているうち2台に抜かれ、とりあえず3位でオープニングラップを終え、ここからレースの展開を考えるということになりました。予選タイムで余裕があったのでタイヤが完全に暖まるまでは無理をせず、3周目に2位に上がり、5週目でトップにたちそのまま逃げ切り。トップになってからはずっと59秒台でラップを重ねることができました。ベストタイムは最終ラップの59秒118。58秒には届かなかったけど、本当に久しぶりのレースでこんなに良い結果を残せて大満足。嬉しかったです。
 聞いたところによると、今年のファンデーションは訳あって全日本はやらないとの事。
「だったら筑波の全日本だけこのバイクで僕を走らせてもらえないでしょうか」なんて、勝った勢いで調子に乗り、名越さんとチームスポンサーの藤巻さんの前で言ってしまったら、藤巻さんから返ってきた返事は「まぁ、いいんじゃない?」...やったね! 名越さんも「今年は型遅れのバイクで趣味でレースをやるライダーが乗って、目標が全日本でのポイント獲得。こんなスタンスも、レースを楽しむ原点に戻るってことで、良いよね」と言ってくれました。
 
 そんな訳で、また機会があれば5月に開催される全日本筑波大会での参戦レポートをお届けしたいと思っています。できれば良い結果を報告したいですね!