以下は先般イタリアの最もポピュラーなレース専門サイトに掲載されたインタビュー記事の和訳です。記者のLuca Uccheddu氏は名越の友人であり、親子二代の熱心なDUCATISTとしてもその名を知られています。版権の関係上写真は転載できませんが、下のリンクより本家のサイトをぜひ一度お訪ねください。なお、イタリア語翻訳の労を執っていただいたY氏に心より感謝いたします。 |
ポディウム最上段の名越公一 | |||
仕事で日本を訪れた際、親友の名越公一を訪ねる時間を作れたので、彼にイタリアのWEBサイトのためのインタビューを申し込み、快諾を得た。 彼を知らない人のために補足すると、名越は芳賀紀行を見出し、彼のチーム、“チーム・ファンデーション”から彼が製作したDUCATIで、芳賀を初めてスーパーバイクレースに出場させた人物である 名越はチームマネージャー、ライダー、マシーン製作者の3役をこなす。彼を引き込んだ魅力的なレースの世界への情熱と、ドゥカティへの愛情とを彼は我々に語った。彼は本当に類稀な人物である。 |
チーム・ファンデーションの独特なイエローのカラーリング | |||
■ コウイチ、ドゥカティへの貴方の情熱はいつ始まったのですか? 私は昔からバイクのファンで、常にバイクメカニックをしていました。DUCATIへの愛情は、1970年代半ばに1冊の雑誌の表紙を飾った1台のDUCATIの写真を見た時から始まりました。その写真のバイクはDUCATIの750SSでした。 ■ チーム・ファンデーションを作ろうと思ったきっかけは?またどうしてファンデーションという名称なのですか? 私はショップで常にバイクメカニックをしていました。私にとって最初のドゥカティを手に入れた時から、私はドゥカティエンジンだけを専門にしたいと思うようになりました。また1980年代に私の興味は次第に公道からサーキットに移り、結果として私の活動拠点もそちらに変化してゆきました。 ■ コウイチ、貴方は真の意味でのレース人ですね(メカニック、チームマネージャー、ライダー!)貴チームの最初の成功について聞かせてください。 最初、レーシングマシーンの製作は私自身のためだけに行っていました。従ってレースで走るのも私でした。バイクは素晴らしい仕上がりでしたが、やがてライダーとしての自分の限界を感じ始め、優れたライダーを探す決心をしました。 ■貴方のチームのアマチュアレースから全日本選手権レベルへの移行はいつ決心したのですか? |
1997年、チーム・ファンデーションの916レーシングを駆る井筒選手 | |||
BOTTは技術的なレベルが如何に高くてもアマチュアのためのホビーレースです。 そして私はプロフェッショナルレーサーではありません。当然、私と私のチームはプロフェッショナルレベルでのレースでは表彰台に上ることができませんでした。 その時、1992年の終わり頃、私はマシーン製作者としての自分の能力を試したいと思っていることに気付きました。そして優れたライダーである鈴木誠を獲得し、1993年度の全日本選手権GP 250クラスにHONDA RS250で参戦することを決意しました。 2サイクルエンジンの整備に関しての少ない経験を考慮に入れると、結果は悪くありませんでした。このシーズンは選手権9位という結果を残しました。でも頭の中には常にDUCATIのことがありました。 そして翌年、本来の目標に向け、全日本選手権SBKクラスに参戦することにしました。当然DUCATIで、1994年のことです。そしてドゥカティ888レーシング(926cc)を購入しました。そして、芳賀紀行という19歳になったばかりの、しかしミニバイクレースからGPレースまで既に15年のキャリアを持つという若いライダーを起用することになりました。 元々はその年、ライダーとして前年と同じ鈴木誠を予定していました。選手権が始まる前に我々はその事について合意していましたが、チーム・ヨシムラSUZUKIが彼を強く欲しがったために、私は彼がヨシムラに行くことを認め、その代わりのライダーとして芳賀紀行を起用する決意をしたのです。 |
グリッド上の名越と芳賀選手 | |||
■ 芳賀、井筒、沼田といったたくさんの非常に有名な選手が貴方のチームで全日本選手権やワイルドカードでのSBK世界選手権へ参戦しました。これらのライダーの中で貴方が最も印象に残る選手は誰ですか? |
ファンデーションのDUCATIにまたがる非常に若いころの芳賀選手 | |||
1994年に芳賀選手と共に全日本SBK選手権に参戦しました。開幕2戦目で既に観衆からの賞賛を浴びるようになりました。更に1994年SUGOの世界選手権に参戦し、芳賀選手は第一レースで転倒、左側のフットレストを失いました。しかし彼は再スタートし、ゴールまでレースを諦めませんでした。ストレートではサイレンサーの上に足を置き、曲がったシフトペダルを蹴ってギアを変えなければなりませんでした。信じられないことにその状態でも彼は、彼のベストラップから1秒落ちで難なく周回していたのです。一種の天才ですね。私は彼に早く世界チャンピオンになってもらうことを願っています。 翌年は芳賀選手の代わりに生見選手がライダーとなりました。そして我がチームでの彼の成績は年間ランキング8位で、我々を十分満足させてくれました。彼は非常に安定したペースで周回できるという特質を持っていました。彼は2003年に鈴鹿8時間耐久レースで優勝しましたが、それは彼のこういった能力が開花したと言えるでしょう。 井筒選手もまた非常に速いライダーでした。特に彼はマシーンの開発に非凡な才能を発揮し、彼のバイクのセッティング能力は特筆すべきものでした。 鈴鹿サーキットである晩、翌日の決勝レースに備えてエンジンオイルを換えている時のことです。ドレンボルトを外してオイルを抜いたところ、私はドレンボルトのマグネットにミッションギアの破片を見つけました。直ぐに井筒選手に何かおかしなことがなかったか尋ねたところ、「予選の終わる2周前に、最終コーナーでシフトした時に何かの衝撃を感じた。その時のギアは3速だった。」と彼は答えました。私はその夜エンジンを全分解しました。確かに3速のギアが破損していました。 今は亡き沼田選手は芳賀選手と同じように、2サイクル、4サイクル、小排気量、大排気量を問わずどんなバイクでも速く走ることができるという特別の才能を持っていました。2003年に我々は彼とSBK世界選手権に996RS で参戦し、全日本選手権SBKクラスにスポット参戦して7位という結果でしたが、その時はレースで最速ラップを叩き出しました。彼はいつも素晴らしい華やかな雰囲気を持っていました。 他にも数多くのライダーが私のチームのためにレースを行い、素晴らしい成績を収めましたが、様々な理由でレースから引退しています。 |
1997年の鈴鹿8時間で井筒選手のマシーンを暖機する名越 | |||
■ 1997年に貴方のチームは日本で非常に重要なレースである鈴鹿8時間に参戦しました。この挑戦について教えてください。私の記憶では予選のとき居合わせた観客をあっと言わせましたよね。 我々のメインスポンサーであった民生科学協会は、1997年限りで我々のスポンサーを降りる事が決まっていました。そこで新たなスポンサーを獲得するために、年間を通じて日本で最も重要なモーターサイクルイベントである鈴鹿8耐に参戦することを私は決意しました。そこでの良い結果は翌年新たなスポンサーを見つける助けとなりました。 ■ ライダーとして。チームマネージャーとしてメカニックとして貴方に最も大きな満足を与えたものは何ですか? マシーン製作者としては、間違いなく1997年レース中に井筒選手が996でKAWASAKIのワークスマシンを鈴鹿のストレートで抜いたときです。この想い出は私の記憶に深く残っています。 ■ どのDUCATIが好きですか?その理由も教えてください。 748/916/996シリーズの特にSPとSPS、それに996Rと998の特にSとRのシリーズです。 タンブリーニが設計したこれらのDUCATIに勝るものはないでしょう。 ■ 貴方が所有またはライディングした全てのDUCATIの中で、ライディングに関してどのバイクが好みですか? サーキットでは998RS。 理由は単純に私が筑波サーキットを1分以下で周回することを可能にしたバイクだからです。性能面でも技術的レベルからも驚くべきバイクです。また、1996年型の916RACING(955cc)はエンジンと車体のバランスが最良のバイクだと思います。ストリートバイクの中では1998年型の916SPS(996cc)が私の好みのバイクです。 |
名越によって見事に整備された851ベースのスペシャルバイク | |||
■ マシーン製作者として特にどんなタイプの仕事を好みますか? 私は精密な解決策を取ることを好みます、私の851は良い例だと思います。サーキットで人がそれを見ると個性のない851だと思うでしょう。しかしカウルの中には996のエンジンが隠されているのです。 ■ 将来どんなDUCATIを貴方のガレージに置きたいですか? 1098 RS です。 ■ チーム・ファンデーションの将来のプロジェクトは?全日本選手権SBKクラスに再び出場することはありますか?鈴鹿の8時間耐久で黄色いDUCATIを再び見たいのですが可能ですか? プロフェッショナルなレースへの参戦は現在のところ考えていません。現在全日本選手権SBKクラスは新しい規定があり、SBK世界選手権仕様のバイクの出場は認められていません。従ってドゥカティの市販レーシングモデルを使用することができません。もし全日本選手権の新しい規定で1098の出場が認められれば、もちろん興味深いことです。優秀な選手を獲得して..... ■ コウイチ、インタビューにつき合ってくれてありがとう! こちらこそありがとう。全てのドゥカティストによろしくお伝えください。 |
Luca Uccheddu "KarasauKid"
RACERGP.COM PRESS |
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