1999年6月1日 名越公一 記.
5月16日に開催された筑波の全日本S.B.クラスを終えて半月、この原稿を書くにあたり、色々振り返ってみました。
実は今回のレース、エントリーする時点から既に一波乱あったのです。それは今年から採用された全日本選手権のレギュレーションに起因するものでした。
全日本選手権の格式を向上させるという大義名分で、全日本選手権にエントリーするためにはスーパーライセンスを所持していなければならない、という規則が新たに設けられたのがそれです。スーパーライセンスについて説明すると長くなるのでそれは割愛しますが、要するに1998年度の全日本のレースでポイントを取った者でなければ、基本的にエントリーを受け付けてもらえないのです。勿論例外は幾つか有るのですが、いずれにせよ1998年度に何らかのレース実績が無いといけません。この場合のレースというのは地方選手権、エリア選手権、全日本選手権のことで、当然サンデーレース等は含まれていません。
そして我らがライダー小山にはこの実績が全く無いのです。
案の定、主催者からはエントリーを受理できない、という連絡がきました。なんとかならないかと交渉すると、それでは今までに出場したレースの実績を何でも良いから、何時の物でも良いから、書いて送ってくれとの返事をもらうことができました。
そこで小山選手のレース実績を書きだしてみたのですが.....
1988年筑波選手権ノービス250ccクラス、ランキング2位
1989年SUGO選手権SP750クラス、チャンピオン
一応華々しいのですが、なんせ10年以上前の話です。彼はA級に上がってからは殆どレースに出ていません。一番最近のレース結果は、1995年4月1日のエリア選手権FISCO大会S.B.クラス優勝、というものでした。ちなみにこの時もファンデーションからエントリーして、マシンは94年に芳賀紀行選手が乗っていた926コルサでした。
今回全日本へのエントリー資格を得るため、わざわざエリア選手権に出場して実績を作ってきたライダーが何人もいるという話も聞きました。そうした人達のことを考えると、また小山のレース実績を書き出すにつけ、その説得力の無い内容に「これはだめかもしれない.....。」と私は思いました。
こうなったら頼み込むしかない、ということで、私の書いた主催者への書面は結局エントリー受理への嘆願書のようになってしまいました。
それから何かと落ち着かない数日が過ぎました。そしてある日とうとう小山選手からの電話で「エントリー受理されました!ゼッケンは82です。」という嬉しそうな声を聞くことができたのです。.....ああ、やれやれ、という感じでした。
さて、我々はレースの事前テストに3回行きました。このことについてはホームページの掲示板にその都度書き込んでいたので、皆さん良くご存じかと思います。
そしてこの3回のテストを通じてちょっと気になったことがありました。それは全テストを通じてタイムの進歩が見られなかったということです。ライダー小山にとってこんな事は昔からあまり無かったのですが、今回は今まで乗ったことも無いような高い戦闘力を持ったマシンであることに加えて、長いレースのブランクと滅多に出たことのない全日本という、いろいろなプレッシャーがかなりきつかったようです。彼も掲示板で言っていましたが、転倒して高価なマシンを壊してしまうことに対する怖れが、彼のライディングをかなりぎこちなくしてしまったように思えます。
もともと彼はここ一番という時に無理がきき、気合い一発でスーパーラップを出す事のできるライダーなのです。その意味では今回の全日本において彼は本領を発揮することができなかったと私は思います。 |