チーム・多田勉の仲間 2000年もて耐参戦記
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それから
 程なくしてエンジンに火が入り、次のライダーである横山選手によりマシンはピットロードをあとにして行きました。しかし一度こういうことが起きたからには、まるで爆弾を抱えて走行しているようなものです。取り敢えず回転を抑えてとにかくエンジンに負担を掛けないで、完走する作戦に切り替えです。せっかく張り切っていた第2、第3ライダーにとっては気の毒なことにストレスのたまる走行を強いられることになってしまいました。

 その後暫くの間はペースを落とした走行に徹したため、他のマシンの邪魔をしないようにラインを外して走ることになり、それがまた新たなトラブルを引き起こすことになってしまいました。  走行を終えて帰ってきたライダーが、ハンドルに凄い振動がでてきたと訴えたのです。その時は、やはりエンジンにダメージがあって深刻な状況になっているのだろうと判断せざるを得ませんでした。そこで次の走行ではますますペースを落とさざるを得なくなりました。

 暫くそんな状態が続いた後、タイヤ交換の時になりました。その時ピットインしてきたマシンのタイヤを一目見て私は、「これだ!」と思いました。  レコードラインを外して走っていたため、タイヤがコース上のタイヤかすを拾いまくり、特にフロントタイヤが原型をとどめないほどボコボコな状態に変形してしまっていたのです。その為にタイヤが異常な振動を発するようになり、その振動をライダーはエンジンからのものと勘違いしてしまっていたのです。

 レース終了が間近になってきた頃にはやっとマシンは活気を取り戻し、本来の快調なペースで周回を重ねる事が出来るようになりました。


レースは最終的に
 51位で完走することが出来ました。結構色々なことがありましたが、取り敢えず完走という初期の目的を達成することが出来、満足のゆく結果を残せたと想います。 スタッフとして参加していただいた皆さん、ピットへと応援、激励に駆けつけてくれた方々、また陰ながらも応援してくれた皆さん、お疲れさま、どうもありがとうございました。

 3人のライダーの中には既に来年のもて耐に向けて燃えている人もいるようです。 私も次回はどういう形で関わることになるか判りませんが、また皆さんと一緒に盛り上がって感動を分かち合えたらと思っています。

舩木 飯生 横山
後日談ですが
 レースに使った多田さんのエンジンをレース後にオーバーホールしました。びっくりした事に、グラベルの砂利をかんだ方のタイミングベルトに傷があったらしく、その傷が進行してベルトが半分切れかかっていました。 17mm幅のベルトですが、その部分ではつながっている幅が8mm位で、あと少しでベルト破断となったと思われます。 結果的にレース中盤でペースを落として良かったと思いました。 またフロントシリンダーヘッドのバルブとピストンですが、やはり干渉していました。ピストンのカーボンを綺麗に落とすと、バルブリセスの部分にはっきりとバルブがぶつかった跡が残っていました。それでもバルブの方は全く曲がっていませんでした。 こんな事を言ってみるのも何ですが、やっぱり多田さんが完走できるように助けてくれたのかなあ、と思ってしまいました。

 多田さんのエンジンはもて耐ライダー3人衆のうちの一人が引き取り、これからも 彼のメインエンジンとしてサンデーレースを走り続けるでしょう。 多田さんのスピリットと共に....................。

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