チーム・多田勉の仲間 2000年もて耐参戦記
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そもそも...
 もて耐出場の計画が持ち上がったのは・・・   多田さんの生前に仲が良かったサンデーレース仲間の数人がもて耐に出たいと漠然と思っていた丁度その時に、多田さんが最後に使ったエンジンで彼を偲んでもて耐をやろう、という案を誰かが出したのです。

 話はトントン拍子に進み、出場があっという間に決定しました。  メンバーは、ライダーが 舩木、飯生、横山、の三選手。チーム監督に石塚氏。チー フメカニックに私名越。その他に何人もの多田さんにゆかりのある方が駆けつけてくれることになりました。  マシンの方は色々と打ち合わせをした結果、舩木選手の955コルサに多田さんのエンジンを載せた仕様で行くことに決定しました。おそらく予選通過タイムを請け負うのが舩木選手になると思われたので、彼が乗り慣れたマシンが良いだろうという事に加え、なんといってもコルサの車体まわりが一番戦闘力があるだろうという事になったからです。

エンジンは急遽TFDファクトリーで元通りに組み上げられ、コルサの車体に載せられました。そして、もてぎでの練習が始まりました。  一台の本番用マシンだけでは各ライダーの練習時間がとれないため 、練習時はおのおの自分のマシンで走り込み、舩木選手以外の二人はレースウィークから本番車に乗る事としました。 練習ではやはり舩木選手のタイムが良く、2分5秒台位のタイムはそんなに無理をしなくても出ていたようなので、予選は何とかクリア出来るんではないかとも思いました。 ただ予選通過タイムが一体何秒になるのか誰にも予想できなかった為、「今年は何秒らしい」とかの怪しい情報も飛び交い、蓋を開けてみるまでどうなるか判らないというのも今年のもて耐の特徴 だったように思います。


 この日は金曜日で、私はサーキットの方には行っていませんでした。ファクトリーで仕事をしながら結果報告の電話を待っていたのです。事と次第によっては予選 落ちを喫し、土曜日の3耐に出場ということになってしまうとも限りません。  やがて現地から第一ライダーの予選が終了したとの報告が入りました。第一ライダーは舩木選手で、タイムは2分4秒904。 第一ライダーAグループでなんと4番手のタイム。 さすがやってくれました。おそらく予選通過間違いなし!ということで、その後に行われた第2、第3ライダーの予選はマシンの温存という名目で、もはやツーリング状態だったとのことです。

 あとで聞いた話では、この予選走行中はなかなかクリアラップが取れず、いくらラップを重ねてもタイムは2分6秒台だったとのこと。このタイムだと予選通過は結構際どいところで、ピットでは関係者全員が緊張した面もちで事の成り行きを見守 っていました。そして予選終了間際の最終周、舩木選手は起死回生のタイムを叩き出したのです。予選終了のチェッカーをかいくぐった彼の最終周のタイムは2分4秒904 。その瞬間ピットでは歓声が上がり、関係者一同一気にわき返った事は言うまでもありません。  予選は結局総合29番手で、外車では唯一の、堂々の自力予選通過。予選通過請負人 の元A級の降格ライダーが山のようにいる中で、本当に良くやったというしかありません。予選通過が一つの大きな目標だったといえるので、この時点でもうみんな大満足でした。さぁ、あとは楽しんで決勝を走るだけです。

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